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マイレオニーより重要なお知らせをアップしました
松井監督の第三作を応援する会 マイレオニー ホームページに、
マイレオニーサポーターのみなさま、および
これからサポーターになっていただく方への
重要なお知らせを、本日アップしました。
ご一読くださいますようお願いいたします。

| myleonie | マイレオニーからお知らせ | - | - | pookmark |
モエレ・ファン・クラブより「弥生の会2010」のお知らせ



2010年公開の映画『レオニー』のラストシーンに登場する、
イサム・ノグチ設計、札幌市にあるモエレ沼公園

2009年に行われた『レオニー』のモエレ沼公園ロケでは、
マイレオニー札幌の皆さんの全面サポートのもと、
地元の子供たち約100人がエキストラ参加しての撮影が行われ、
私たちマイレオニーでも、撮影見学ツアーに行ってきました。

この撮影でも大変お世話になった、
モエレ沼公園の活用を考える会(モエレ・ファン・クラブ[MFC])主催の
明日28日開催の、素敵な春のイベントのお知らせが届きました!



モエレ沼公園グランドオープン5周年記念「〜モエレ小茶会〜」開催概要

日時:平成22年3月28日(日)
開場:13時00分
開演:13時30分から16時00分
場所:モエレ沼公園ガラスのピラミッド(札幌市東区モエレ沼公園1-1)
会費:お茶、茶菓子代として1,000円いただきます

以下は、主催者よりイベント紹介のメッセージです!

今年はモエレ沼公園グランドオープンから5周年を迎えます。
そんな記念の年の3月に小さなお茶会をモエレで企画しました!
1988年3月はイサム・ノグチがモエレを訪れた最初の月。
というわけで、
イサム・ノグチと交友のあった川村純一、堀越英嗣、松岡拓公雄の3人の建築家
がお茶会の亭主となり、薄茶で皆さんをおもてなしする〈大寄せの茶会〉、
そして、3人の建築家に札幌在住のデザインコーディネーター古谷美峰子さんと
小林英嗣MFC会長が加わり、モエレ沼公園の未来について語る〈リレートーク〉を
行います。
お茶会の最後には、なんと弥生の会恒例、牟礼旅行が当たるクイズタイム
(MFC会員限定・・・当日入会OK!)も行います。
また、昨年7月に行われた、映画「レオニー」のモエレロケ写真を展示します!
春真近かな公園を眺めながら、
日曜の午後をモエレでゆったり楽しく過ごしましょう。

●主催 モエレ沼公園の活用を考える会(モエレ・ファン・クラブ)
●特別協賛 北清企業株式会社
●助成 さぽーとほっと基金
●協力 財団法人札幌市公園緑化協会



お近くの方、ぜひ出かけてみてくださいね!
マイレオニーブログでも取材旅行に出かけたいくらいです。
夏もいいけれど、早春のモエレ沼公園素敵だろうな!
この記事のために『レオニー』のロケハンのときの写真を
提供してくださった(貴重!)
札幌の大居さ〜ん、今頃準備で大変と思いますが
ぜひレポートをよろしくお願いします!(名指しスミマセン)

| supporters | サポーター情報 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
アメリカの『レオニー』スタッフからメッセージ

2010年公開の映画『レオニー』の撮影を昨年終え、
8月から今年1月末まで、編集作業をロスで行った松井監督。
現在、最後の最後の調整作業のため、再びロスに滞在中。
アメリカでの撮影後の作業(ポストプロダクション)を
今も支えている日本人スタッフの山口絵里子さんから、
マイレオニーブログにレポートが届きました!


写真中央が絵里子さん。
音楽担当のヤン氏との貴重なショットです。

初めまして、ロスで最終調整をがんばる松井監督のお手伝いをしている
山口絵里子です。
現地LAよりファイナルミックスの様子をお伝えします!

ファイナルミックスは簡単に言うと、映画で聞こえてくる
台詞、音楽、サウンドエフェクトの最終調整を行う作業です。
スクリーンで映像を見ながらシーンごとにそれぞれの音量のバランスを
担当のミキサーの方と検討して調節していく映画製作で最終段階の重要な過程です。



ミキサーはジョナサン。
業界では”仕事が速い”と定評のある彼がスウィッチボードの前を
キャニスター付きのイスに座って、踊るように行き来します。
その後ろから微塵のミスも聞き逃さない監督が指示をだします。

普段映画を見ているときにはあまり気づかないサウンドエフェクトですが、
鳥の鳴き声や風の音などをいかに効果的に使うかによっても
シーンの雰囲気が変わります。
そんな小さな積み重ねにしても決して妥協を許さない監督の
レオニーに対する情熱、愛情が隣にいる私にも伝わってきます。

そんな熱心さは映画の最後に流れるエンドロールのクレジットと
音楽のタイミングまで至ります。
”あと10コマ音楽ずらして”(フィルムは1秒24コマ)
という監督の指示とジョナサンの的確な指さばきとが
完璧とも言える見事なタイミングを作り上げます。

8月から始まった編集作業。
松井監督と毎日時間を過ごしてきた私ですが
監督の鋭い感性には今も驚かされます。

例えると、美しい映像にかかる主演エミリー・モーティマーの
ヴォイスオーバーの位置決め。
(映画レオニーではこのヴォイスオーバーが重要な要素になっています)
位置を変えることは今までも何度もやってきましたが、
このファイナルミックス中にも監督ならではの鋭さが光り、
少し位置をかえてみる事に。
そうすると、驚くほど違いが出るのです。
それまでのシーンよりとても感情豊かになりました。
これにはやり手プロデューサー、マヌーもさすがにうなり
真剣にきびしい目でスクリーンを見ていた顔も笑顔にかわりました。

一言では簡単にまとめる事のできない映画製作に携わる作業一つ一つに
いつも全力投球でレオニーを作り上げていた、
そんな松井監督の魂がこもった“レオニー”を
是非みなさん楽しみにしてくださいね。    (山口絵里子)


「少しでもマイレオニーの方々に監督のがんばりが伝わるといいな、と思い書きました。」
と、今も最終作業でお忙しいなか、素敵なレポートをいただきました。
いつか日本で完成した『レオニー』を一緒に観たいですね。
絵里子さーん!ありがとうございました。

| wakki | 『レオニー』 製作レポート | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー(10)

第10回(最終回)母との絆



映画製作のプロセスとは別に、私shioriが、どうしても勇気さんに伺いたかったことがあります。
シングルマザーである松井監督の息子として、同じく100年前のシングルマザーでイサムノグチを産み育てたレオニーの映画を、どう思っているのかということ。
プライベートにもかかわるデリケートな質問ですが、勇気さんはとても素直にフランクに語ってくださいました。

母の偉大さを男の子はなかなか受け容れられない

―― 映画とご自身との共通点についてどう思われますか?

勇気 うーん、僕はイサム・ノグチのような功績はないけれど、でもシングルマザーの一人息子としての絆、そういう部分に関してはすごく理解できます。

「ユキエ」が夫婦の話で「折り梅」が家族の話で、「レオニー」は母と子の話だっていうのがあるわけですが……、うーん、けっこう表には出て来ないんですよね、母と子の関係って。見えてるようで見えないっていうか。

だからこそ、なおさら絆としか言えないんですけど、やっぱり母親の偉大さというのは、娘だとまたちょっと違うかもしれないけど、息子ならなおのこと、若い時は自分が大人にならないと受け容れられないんですよ。
男だからなのかもしれないですけどね、それはある意味(笑)。

―― 男の子のほうが、小さい時から「ママ大好き」っていう部分は強いのでは?

勇気 そんなことないと思いますね。僕は5歳の時に両親が離婚してるんですが、「お母さんが大好き」って……、シングルマザーなら母しかいないんだから。お父さんとお母さんって選択できるんだったら、「ママ大好き」ってのはあるかもしれないけど。僕は幼少の時は時に父が好きでしたし、今も比べることはできないです。

でも片親っていうのは、母が父でもあるんです。今35歳の僕の世代だと、両親が離婚してるのって小学校の時は僕しかいなかった。今では全然珍しくないし大したことじゃないのかもしれないけど、当時はけっこう重かったんですよ、子供としては。

―― どんなふうにそれを実感してましたか。

勇気 だって、下校途中に友達のみんなは、「週末、ディスニーランドに行くんだ。お父さんとお母さんと」って言うんです。「そういうの、できないんだな」っていうのはやっぱりあったかな。

でも、別に親がいないから寂しいんじゃないんです。僕はおばあちゃん子で、おばあちゃんもおじいちゃんもいたから、一人でいるのが寂しい、というより、「何で自分の両親は仲良くないの?」というのが、寂しいと思ったりした(笑)。

「異形だな」っていうふうには思っていたけど、でもその代わり、他の普通の家庭ができないことを、すごくいっぱいしてもらえたから。

―― どんなこと?

勇気 たとえば、家に女優さんが遊びに来たり。自分も撮影現場とかに行っちゃったり、徹夜のマージャンに遊びに行くとか(笑)。

―― ロックコンサートも中学生の頃から長い間、一緒にいらしてたそうですね。

勇気 そうそう、ガンズ&ローゼスとか(笑)。

カメラの後ろにいるオフクロの背中を見ていた

―― 勇気さんの中では、監督の彼女と母親である彼女はパッキリ分かれてるんですか?

勇気 全然パッキリしてないです(笑)。こういうふうに映画監督としてやっているのもオフクロの一部だし。そういう意味でいうと、普通のお母さんがすることはあんまりしてないんじゃないですか。
でも、普通の親父がすることはいっぱいしてくれていると思う。留学先のロンドンにずっと生活費を送ってくれたり(笑)。

やっぱり大人になってくると、「俺はもう、オフクロとなんか一緒に住んでらんねえよ」とか、そういうのが削ぎ落とされてくるんですよ、年を重ねてくると。
僕なんかまだシングルで自分の子供もいないから、自分が親になった時の子供に対する見返りのない愛情ってまだ経験してないけど、やっぱり今回なんかは、オフクロがカメラの後ろで作品を撮ってる時に、“親の背中を見る”って感じはすごくありましたよね。

―― へえ〜っ。

勇気 だって、どう考えたって、普通に考えたら僕よりも早く消えてしまうわけでね。そしたら、これは母が後に残してくれる作品ですからね。

―― 変なこと言わないでください。

勇気 いや、遺してくれるものですよ、僕に。オフクロは死んだって、これは残るから。そこまで考えますよ。この映画が残っていくわけだから。そうするとやっぱり魂なんですよね。それを感じるのが、普通は親が死んでからだけど、撮ってる時に感じられたっていうのは、僕にとってはすごく大きかったです。
ああ、いい絵……っていうか、「これなんだ」って思いながら、そのことを実感してましたね。

―― そこまで感じてらしたとは……、びっくりしました。

切っても切れない絆

勇気 人って何でもバランスが大事だと思うんです。母の母、つまり僕の祖母は専業主婦で普通のおばあちゃんで、それこそダンナの3歩後ろを歩いて来た人ですけど、でも、愛情だったり表現だったり優しさだったり、その人柄っていうところでは、何ら劣ることはないんです。

だけど、やっぱりオフクロに対しては、僕は以前よりも年取っていっているのを見てるからだと思うけど、最初はお母さんていうだけだったのが、徐々に徐々に、本当にかけがえのない人になっていってるんですよね。
そんなことは人に話したことないし、当然本人にも言わないですが(笑)。

―― そこまで思えるようになったんですね。

勇気 でも、そういう感じ方って、けっこう新しい感覚で、僕にとっては。人間ってそういうもんなんだなって思いました。
何でおばあちゃんの話をしたかっていうと、それは誰のお母さんだって一緒だってこと。映画監督だからすごいんじゃなくて、オフクロだから。親だからすごいんです。

親は、多かれ少なかれ同じように子供を愛してくれるけど、それを大きなかたちで「おお、これなんだ」って作品を残していってくれる親としては、偉大だと思うし。
かといって「僕のオフクロ、すごいだろ」っていうようなことじゃないんです、全然(笑)。そこはお母さんだからなんですよ。

だから、みんなが「あなたのお母さんはすごいわね」って言うわけですよ。まわりの友達だって「お母さん、すごいよね。映画監督でさ」なんて。
でも、そう言われても「オフクロはオフクロだから、オフクロなんだよね」って感じなんです。

でも、僕とオフクロの間にある……誰にも話さないし、お互いに見向きもしないような、でも下で繋がっている絆っていうものは、切っても切れないのではないのでしょうか。
だけど「すごい絆なんですよ」って人に見せるもんじゃない、みたいな(笑)。

―― きれいにまとめるつもりは全然なかったのに……、涙出てきました。ありがとうございました。

| shiori | 映画 『レオニー』 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー(9)
第9回 エミリーとの出会い

レオニーはエミリーしか考えられない

―― 勇気さんは以前から、エミリーの人柄でこの映画は助けられたとおっしゃってましたが、エミリーってどんな人ですか?

勇気 魅力のある人、としか言えないと思います。
誰がレオニーをやるのか、というのを最初に考えた時、ハリウッドの錚々たる女優が候補としてリストに載ってたわけです。最初からエミリーの名前は出ていましたけど、ただ一番最初は、もっと有名な女優が第一候補だったんですよね。

でも、エミリーの映画を何本か観た後に、僕の中でピンッときた瞬間があったんです。「この人だ!」って。本当にその時この人じゃないとダメだ、と思ったんです。

―― 何という映画ですか?

勇気 「トランサイベリアン」(「暴走特急 シベリアン・エクスプレス」日本未公開)です。「この人、うまい!」と思った。演技がうまいし、ずっと見てられるっていうのかな。あと、下手に作り込みすぎないところがいいなと。わざとらしくないんです。

やっぱり女性のきれいさ……容姿的な部分じゃないところでの女性としてのきれいさとか逞しさっていうのを出すためには、ただ容姿がきれいなだけの人ではできないわけですよね。それを作り込んでくる人、作り込まずして持ってる人とじゃ違うと思うから。

それでエミリーにピンッと来た時から、もう他が見えなくなっちゃったんですよね。

もっともっと彼女のことを検索していくと、アーティストとして一本筋が通っている作品の選び方をしているし、このユニークなアプローチの作品、縁が多分に作用する作品の中で、彼女以外はもう考えられないって思った時があったんです。

突然、目の前にレオニーがいた! 

それこそ、まさにあのニューオリンズでクランクインした初めての日。脚本も何度も読んだし、自分のレオニー像もあったけれど、一番レオニーだったのはエミリーだったんです。
突然、目の前にレオニーがいた! って感じ。やっぱり俳優ってのはすごい!、と思わされましたね、あの時に。
いろいろ考えて、レオニーってああでもないこうでもない、こんな人で……と自分の頭の中で模索してたんだけど、とにかくあの時、目の前に本物のレオニーがいたんです。

―― 百聞は一見に如かず……。

勇気 そう。その時に下手だったり、ちゃんと役になりきれてなかったりしたら、「ほんとに?」とか「えっ、これってどこのシーンだっけ?」とか思わされちゃったりすると思うんですよね。
でも、その場でレオニーに出くわした時は、僕にとっては一番センセーショナルでしたね。あの人はやっぱりすごいですよ。多くの俳優さんはみんなそうなんだろうけど、特に彼女は。

お互いに親子同士で会った初対面

―― エミリーとの最初の出会いはどんなだったのですか?

勇気 一番最初にエミリーと会ったのは、「レオニー」に興味があるということで、松井と共にロンドンに会いに行った去年の1月13日。
彼女が今、家族と住んでいる家はニューヨークにあって、そこへも招かれて3、4時間ずっといっしよに話したりしているけれど、最初の時は、彼女はちょうど今アメリカとイギリスで公開しているマイケル・ケイン主演の「Harry Brown」という映画をロンドンで撮っていたんです。それで彼女はロンドンにいて、僕らは日本からロスへ行く予定だったんだけど、エミリーに会うために早速ロンドンに飛んだんです。

エミリーがいいレストランを予約しておいてくれるっていうんで、ロスからハイドパークのプロデューサーを呼んで、松井と僕は東京からロンドンへ。エミリーと、もしかしたらエミリーがエージェントか誰かを連れて来るんじゃないかって、ロンドンのど真ん中にある高級レストランに出向いたら、なんとエミリーはそこにお母さんを連れて来たんですよ。

―― えーっ、何てフレンドリーな……。

勇気 こっちもびっくりしちゃったっていうか、僕たちはそこで初めて作品のことも話すし、仕事の話になると思ってたから。
エミリーのお母さんは、当時エミリーのお父さんが寝たきりで、その看病がずっと続いていて、お父さんはもう、今日、明日にも…という状態だったんですよ。それで気が滅入っちゃってたので、ロンドンまで一緒にご飯食べに行こう、人に会うから一緒に来なさいって言って、彼女がお母さんに息抜きさせたくて連れて来たんですよ。

ちょうどいいことに、たまたま僕たちも親子だったから話が弾んだし、僕も彼女のお母さんに一緒に話の中に入ってもらうようにしたのが、逆に肩の力が抜けてというか……お互いに話せたのが、一番最初の出会いだったんですよ。

女優だから仕事の夕食会に、お母さん連れて来ようがボーイフレンド連れて来ようが、息子連れて来ようが関係ないでしょう。
それくらい、ちょっと触りに来たような感じだったんです。触ることもできるし、自分が気に入れば入っていける……というか。

で、その翌々日にお父さんは亡くなってしまって。でもそれがエミリー本人にとっては何かすごく縁があったと言ってましたね。



エミリーの人生の節目に「レオニー」がリンク

―― 人生の節目節目の大事な機微がいくつもリンクしてますね、この映画はエミリーにとっても。

勇気 僕が思うのは、エミリーの何がすごいかって、演技ももちろんすごいんですけど、自分の人生のワンシーンも共に賭けてくれくれたというか、一緒に経験できたっていうのが大きくて、親近感が本当に湧きました。

一緒に山を越えたっていう思いがあるから、何かあんまり、こういう人で……っていうのは言いにくい。とにかく、縁があったんです、本当に。簡単な言い方だけど本当にそういう感じ。「ご縁がありました」って。

―― エミリーも同じことを感じていたのではないでしょうか。

勇気 そうだと思いますよ。それを受け容れる許容範囲のある人だったから、こういう、ちょっと普通の映画とは違うかたちの「レオニー」を、やってみようって思ってくれたんじゃないかな。やっぱり、日本の、どこのものかわからない作品に手を出すのは、そうとう勇気が要ると思うんですよね。ああいう立ち位置にいる女優さんにとっては。

―― チャレンジャーですね。

勇気 チャレンジャーだし、すごく魂のある人ですよ。

「レオニー」が彼女にとって飛躍する作品になってほしい

―― エミリーにインタビューした時、天性のピュアさと健気さがあってすごくいい人だけれど、それだけじゃなく真に理知的で、自分のキャリアを確実に自分で選び取っている人だと思いました。そこだけ言うと計算高いみたいだけど、そうじゃなくて、自分の人生を自分で作っている人だから、「レオニー」出演を決めたんだと強く思いましたね。

勇気 失敗もあったと思うし、いい人だからだまされちゃったこともあったかもしれない。でも、まさに自分の本を自分が携わる映画によって書いてる人だな、と感じました。自分の女優としてのアーティストとしての1ベージ1ページをすごくしっかり書いている人で、「レオニー」もあくまで通過点なのでしょうね。

でも、彼女の本のあるページを「レオニー」で埋めてくれたことが、僕はすごく嬉しいし、だから作品の成功も当然大事なんだけど、これだけコントリビューション(貢献)をしてくれたんだから、彼女にとって飛躍する作品になってほしいな、というのは正直ありますね。彼女が「レオニー」によってもっと知られたり、もっと認められたら、それはやっぱりすごくやった甲斐があったなと思います。

次回は、勇気さんが母としての松井監督を語る最終回です。
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伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー(8)

第8回 エミリー、撮影中にご懐妊!



自分にだけ伝えられ「誰にも言わないで」と

勇気 日本の撮影では、特に僕はエミリーにずっと付きっきりだったんですけど、高松あたりだったか、つくばのワープステーションで言われたんですが、エミリーから「誰にも言わないで。妊娠しています」と。

―― それって契約違反ではないんですか?

勇気 そんな……、妊娠しちゃいけないなんて、そんな契約はないけど。できない演技が出てきたら、それは仕方ないんじゃないですか。
でも、彼女は本当はしたくないこともあったんじゃないかと思うけど、シナリオ通りに全部やってくれたわけです。その時は。

―― じゃエミリーは、どんなハードなシーンもやるつもりで「勇気さん以外には誰にも言わないで」って言ったんですね。

勇気 そうですね。本人は「どんなシーンもやる」ということを、一番気にしていたし。でももし何かあった時には助けて欲しいと。

―― エミリーの役者魂もすごいものがありますね。いつ妊娠がわかったんでしょう。

勇気 アメリカの撮影が終わって日本に来るまでに2週間あったんですよ。僕たちはひと足先に日本に帰って来て、撮影準備をしていたんですけど、その間にわかったみたいです。

―― そういう意味では、エミリーにとっても記念碑的な映画になるでしょうね。

勇気 まさにそう。彼女に5歳の息子さんがいるんですけど、これから生まれる子が5歳下だから、まさにイサムとアイリス。それがたまたま女の子だったものだから、なおさらエミリー本人がレオニーみたいで。

まるでイサムとアイリスを産んだレオニーそっくり

―― 女の子ってわかってたんですか?

勇気 その時はわかっていなかったんだけど、「絶対、女の子だよ」って僕が言ったんですよ。そう感じたし(笑)。
で、息子がサミュエルって名前だからサムっていうんだけど、ずっと「レオニー」やってる間、イサムだから「サム、サム」って呼んでたんですね。
だから彼女に、「生まれて来る子はアイリスじゃなくて……」って言ったら、「アリスにしようかな」って言ってました。
先日1月16日に無事生まれたんですが、名前はメイ・ローズという名前だそうです。

でもとにかく僕も誰にも妊娠のことを言えない。けど何かあった時に、彼女が「これはできません」と言ったらいろいろ考えなきゃなと思いながらも、本人がどうしても伝えたくない、監督をはじめ、スタッフのみなさんに心配させたくないと。でも、何かあると困るから、「あなたにだけは伝えるから」と。
やっぱり身重の体だと思うと、こっちもいろんなところで気になっちゃうじゃないですか。「今日は大丈夫?」とか。

最初は「Congratulation!」って感じでしたけど。でも、よくよく考えてみると、これ、けっこう問題なんじゃないの? 主役だぜ! みたいな(笑)。

―― 今だから話せるお話ですね。エミリー、がんばったんですね。

勇気 がんばりましたね。妊娠がわかったからこそ、家族にまわりにいてほしかったというのがあって、家族を日本に呼んだのでしょう。息子さんもね。
でも映画からすると、アイリスがお腹にいるシーンなんて本当の妊婦なわけだから、そんなの撮れないですよ、普通は。

だから、松井としても「私の……」という作品だけど、エミリーからしてもそうだと思います。いつでも彼女の生まれた時を思い出す時には、この作品がエミリーの中にあるわけだから……。

―― 生涯の1本でしょうね。「この時、あなた一緒にいたのよ、お腹の中に」って。

勇気 そうそう。いろんな意味で、思いが深いものになるんじゃないかなと思います。

監督に伝えたのはエミリーの帰国後

―― その妊娠のことは、いつ監督に伝えたんですか?

勇気 彼女が帰国してから。

―― 本当に約束を守ったんですね。

勇気 守りましたよ。だから、打ち上げの時も監督は知らなかった。僕は「言え」って言ったんですよ、エミリーに。クランクアップの挨拶の時に言えって。「実は……」って言って、「みんなのドギモを抜いちゃえ」って(笑)。
けど、その場になったら、本人はやっぱり自分のプライベートなことをこういうふうな場で言うのは遠慮しようと思ったみたい。それで言わなかったんです。


―― 約束を守った勇気さんも偉いし、黙り通したエミリーもすごい。


勇気 言えないですよ。本人は、監督に気遣われるのがいやだったんじゃないでしょうか。監督に、自分の演技をセーブさせてしまうことは避けたかったんでしょう。

エミリーの息子サムも出演予定だった!

―― いいお話ですね。そういうことも含めての撮影なのかと思うと感慨深いです。その後が、北海道でラストシーンの撮影ですよね。

勇気 実は北海道で初めて、エミリーの息子のサムをエキストラの子供たちの中に入れようということになったんです。みんな日本人の子供だから、一人だけ金髪の男の子がいても、洒落ていておもしろいんじゃないかと。また、サムがすごく可愛い子なんですよ。

それでリハーサルの時に、ジャングルジムのここの穴から出て来て、ここにもどって来てっていう指示を出したんです。
それで「ヨーイ、スタート!」って言ったら、最初はできたんだけど、「OK、OK。今度こっち側を回って来なさい」なんていろいろ指示を出し始めたら、2回目から穴の中に入ったまま出て来なくなっちゃって。

その前日、「映画に出してあげる」って話したら、けっこう喜んでエキサイトしてたのに、指示を出されて1回目はケロッとしてやってたのが、2回目になったらちょっと穴の位置を変えたぐらいだったんだけど、ビビッちゃって。それでもう、みんなが「出て来い、出て来い」っていうからもっとビビッちゃって、結局、泣きながらやめちゃった……ということがあって(笑)。

―― エミリーはどういう反応?

勇気 逆に、「それでよかったんじゃない」って言ってました。彼の母親である自分も、彼の父親である夫も俳優だから、これであの年から「役者っておもしろい」なんて思われたら困っちゃう、って。

―― でも、サムが「レオニー」で映画デビューしてたら、さらにすごいことになってましたね。

勇気 おもしろかったのにね。でも、エミリーとは本当に縁があると思うので。

次回は、遡ってエミリーとの出会いから彼女の魅力、不思議な縁を感じるまでのドラマティックなエピソードを伺います。

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本日、岡山で講演会


本日、岡山駅前「岡山市デジタルミュージアム」にて、
松井監督の映画第1作『ユキエ』上映会と、松井監督の講演があります。
昨年の「レオニー」高松ロケにも数多く参加してくださった
「マイレオニーおかやま」の企画によるものです。
岡山のみなさん、よろしくお願いします!

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『婦人之友』 に松井監督インタビュー


本日発売の雑誌『婦人之友』4月号に、
松井監督のインタビューが掲載されています!

「イサム・ノグチの母を撮る」というテーマで、
今年ついに公開予定の映画『レオニー』製作までの道のりを
巻頭カラー4ページにわたり松井監督が語っています。
ぜひ、お手にとってみてくださいね。
 
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伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー(7)

第7回 犬山、横浜、つくばみらい、高松での撮影



日本でもアメリカ同様、撮影は1日12時間ペース

―― 日本での撮影が始まって、日米の現場での違いを何か感じましたか?

勇気 違うといえばすべて違いますよね。個々の通って来た道が違う分、自分たちのスタンダードがみんな違うから。何が正解というのもないですし。

今回はエミリーがいたから、1日12時間労働の縛りがあったけれど、それがなかったらもっと全然かたちが変わっていたと思います。日本でもアメリカの時間割りのように時間を割っていきました。

―― 1日12時間というのは日本でも踏襲されたのですか?

勇気 そうですね。だってそうじゃないとエミリーを使えないですから。

―― エミリーが登場しないシーンでも?

勇気 当然当然。今回の映画自体がアメリカのユニオンにレジスターされてる映画なので。

日本人スタッフはキビキビよく動く

―― 日本での最初のロケ地、犬山はどんな感じでしたか?

勇気 アメリカで4週間、ニューオリンズロケがあって、その後1週間サンタバーバラという全部で5週間のアメリカの撮影が終わってから2週間の空きがあって、6月1日から犬山(明治村)だったんです。犬山自体があまり何もないところだったから、すごく集中してできたと思います。

エミリーも初めての日本で、いきなり明治村につっ込まれて……って感じだったんじゃないかな(笑)。明治村で大変だったのは、現場となったところがセットじゃないので狭かったんですよ。でも本物ですから。本物の当時のお家を使わせていただけたのは絵的には大きいと思いますよ。

それこそ感覚としては2本の映画を撮ったような感じ。
犬山に入った時、エミリーはエミリーで、僕は僕で、監督は監督で、永田さんは永田さんで、あのニューオリンズの1日目のように、みんな探り合いで「日本ではうまくいくのかな?」みたいなふうに見てたところはあったと思う。
でも、日本のスタッフさんたちのキビキビとした動きには圧倒されましたね。アメリカとは違った現場での動き方が確実にありましたね。

――犬山の次は横浜ですか。

勇気 横浜は1日だけだったんです。船に乗るシーンを港で撮ったんですけど、あれは本当にロケって感じでしたね。わりとサクサクッと進んだと思います。

細部に手を抜かない日本人スタッフの職人気質に感動

――その後のロケ場所が、つくばみらい市にある「歴史公園ワープステーション江戸」。いわゆる江戸村ですが、ここは高松や札幌をはさんで何回か撮影してますね。

勇気 100年前の日本橋を再現して。立ち並ぶお店や道行く人々のいでたちの細かいところに至るまで、日本のスタッフさんの思いが反映されています。本人たちはどう思ってたかわからないけれど、「これでどうだ、監督」って挑むような気持ちもあったんじゃないでしょうか。みなさんが手を抜かないところに、勤勉さや責任感、負けないぞ……みたいな国民性が出てるような気がしたし、素晴らしいなと思いました。

―― 日本の映画人魂が集結してましたね。全員一丸となってのチームプレイは、日本人のほうが得意なんじゃないですか?

勇気 日本のほうが得意ですね。照明なり美術なり、一個一個のチームの締まり方がやっぱり違いましたね。上の人が下の人たちをしっかりと動かせられるんですよ。
アメリカは何か寄せ集められて……というところがあるから。日本は早く終われば早く家に帰れるけど、むこうは遅くやれば遅くやるほどお金になるから、その感覚でやっぱり違ってきますよね。アメリカ側はそれを狙ってやっていたわけじゃないでしょうけれど。


高松で“マイレオニー魂”を実感!

―― 高松はいかがでしたか?

勇気 高松での撮影にかかわってくださったマイレオニーの湯浅文代さん、すごいですよね。僕は、高松のエキストラのシーンは見てないんですけど、2日間で500人近いエキストラを集めてくださったとか。“マイレオニー魂”を持った方だと思います。

みなさん、マイレオニーの方たちはすごいんですけど、自分に見返りを求めてる人が一人もいないじゃないですか。「いいの、私は」みたいな。「こうさせてもらえるだけで幸せ」みたいな。あれはびっくりしちゃいますよ、本当に。

―― マイレオニーには、ピュアなものが通奏低音のように流れてる気がします。

勇気 自分がこれだけできるんだっていう突破口を見つけた人たちが、それを楽しめるというのがすごいですよね。普通、「もうちょっと、こういう扱いしてくれてもいいんじゃない?」とか、「こんなにがんばってるんだからもっと何とかしてよ」っていうのがあるんじゃないかと思うんですけど。

次回は、勇気さんだけに明かされた、今だから話せるトップ・シークレットについて語っていただきます。

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朝日新聞夕刊の池澤夏樹さんのエッセイ


朝日新聞夕刊で月に1回掲載されている、
作家の池澤夏樹さんのエッセイ『終わりと始まり』。

3月6日掲載の記事で、池澤さんは、
モエレ沼公園とイサム・ノグチ、そして、今年公開の映画『レオニー』の
原作である、ドウス昌代の『イサム・ノグチ 宿命の越境者』を
とりあげています。

札幌在住の池澤さん。
大通公園のイサム作の遊具「ブラック・スライド・マントラ」を
目にするところからエッセイがはじまり、
つづいて、モエレ沼公園の誕生について詳しく紹介しています。

「彫刻と庭園の境界領域を切り開くには一人の天才が必要だった」

と、イサムの生涯を辿る池澤さん。
イサムの伝記『イサム・ノグチ 宿命の越境者』を

「無類におもしろい。
こんなことが起こるのかというようなことが実際に次から次へ起こるのだ。」

と紹介しています。

「モエレ沼公園は長い目で見れば東京ディうニーランドより価値がある。
人工から自然へ二、三歩でも寄った位置でこそ人は深く呼吸できるから。」

と述べる池澤さん。
私たちマイレオニースタッフの間でも、記事の切り抜きが飛び交っています。
ぜひ読んでみてくださいね。

池澤夏樹さんのオフィシャルホームページ Cafe Impala はこちら

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