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伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー(5)

第5回 アメリカで撮影がスタート



探り合いから始まったファースト・シーン

―― 実際にニューオリンズでの撮影はいかがでしたか?

勇気 撮影の全行程は4週間。僕らはその6週間ぐらい前に現地に入りました。プリプロダクションという作業で、去年の2月から4月までの2ヵ月。
やることは、とにかくロケハンです。あとは各スタッフを決めていったり、エキストラのオーディションをしたり。

アメリカは、ユニオン(組合)の決まりがあるので、俳優さんを1日に12時間しか使えないんです。日本みたいに、「監督が今日撮るって言ってるからみんなで徹夜してでも撮る」といったことはないのですが、逆にすべてユニオンの許可する撮影時間との闘いなので、ファーストAD……むこうの助監督がしきりに「このシーンとこのシーンをこの日にやって」と言ってくる。
すると監督が出てきて、「このシーンはもっと時間かかるんだから、別の日にしなさい」と。最初に決めたスケジュールを、シャッフル、シャッフル、シャッフル……と。
最終的にどうにか決めていって、あとは1日1日をこなしていくという感じです。

―― ファースト・シーンの印象は?

勇気 最初はやっぱりみんな本気なので、みなさんが探り合っていたようですね。
俳優は「どうなの、あの監督」から「この永田鉄男って、どういう照明で私のこと撮ってるの?」、「ここまで3時間で撮るって言ってたけど、今、4時間かかっちゃってるけど大丈夫なの?」とか、「照明、時間かかってんじゃないの?」とか。もう、とにかく探り合い。

最初のシーンは室内。その家の外にケータリングやコーヒーが置いてあったりしていて、家の外にはスタッフたちがいて、その奥にトレーラーがあって、そこにはセキュリティーがいて、奥では奥のスタッフたちがしっかり仕事をしていて、どんどんどんどん密度が濃くなっていって、撮影の現場に近づいていく。その現場にはいろんなものが立っていて、そういう中のここの間だけ、右にも左にも振れないみたいなわずかな空間で芝居しているわけです。

―― すごいテンションですね。エミリーへのシーン説明って全部、勇気さんがするんですか?

勇気 当然監督の演出を伝えるのは僕の仕事でした。その中で、どこまでの説明が自分でできるのかっていうのが、1日目はやっぱり一番大変でした。みんなが探ってるから。
わかってくれてないんじゃないか、言ってることが通じてないんじゃないか、とか。僕の言ってることが通じてなくて、「私、できない」って言われちゃったら終わりだし。
もう全員みんな、目が泳いじゃってましたから(笑)。

1日目、いいスタートを切れた!

例えば、エミリーがちょっと不安そうな顔したけど、今の俺の説明がわからなかったのかな、それとも、あ、監督に対して今、ちょっとわからないって顔したなとか、気になっちゃって。

とにかくアメリカの俳優は、1日12時間労働と決まってるから、1時間でも遅れると何百万ってお金がよけいにかかるわけです。だから1時間もズレられない。

でも、1日目は何とか時間内に終わったんですよ。それがすごいいいスタートで、みんなの中でも、「ああ、1日うまく終わった」と。
あの感じは今でも忘れられない。1日目のことは印象強いですね。すごく気持ちよくなったのを思い出しますね。

―― 伺ってるだだけでドキドキしましたよ。

勇気 1日目が終わって、エミリーを連れて一緒に寿司を食べに行ったんですけど、彼女も1日目が終わったことを、「よかったねえ!」と言って、監督の肩を揺すってたような気がする。
次の日も、また朝4時からメイク開始だったんですけど、1日目が無事に終わったことでみんなの中にホッとする気持ちが広がっていたのだと思う。

とにかくお金がギリギリなところでやっているから、これ以上追加の時間を出せないというところでやってるにもかかわらず……それは助監督の仕事なんだけど、その理解にちょっとチグハグなところがあって、もうギスギスな雰囲気で終わったことがあったんですよ。撮影開始3日目に。

監督はは怒り出しちゃうし、怒っちゃったのをみんな聞いてたから、みんなもギャ〜〜〜、みたいな。どーすんの、この雰囲気(笑)。

3日目、監督がキレた!!

僕自身も切り詰めてやってたから、その時の詳細は覚えてないけど、その日の朝だったかな、僕が大ゲンカしたんです、オフクロと。

僕はあくまで、まわりからの「こういうの問題になってますよ」とか、「こうしたほうがいいんじゃない?」っていうのを、監督をサポートするつもりで話したんだけど、本人からすると、「どうするんだ、どうするんだ?」と、僕に突き詰められちゃったみたいな感じがしたんでしょうね。完全にいっぱいいっぱいだったところに追い込みをかけてしまって……。

で、監督が「うわあああああ」ってなっちゃって。あ、俺、ここにいたらダメだと思って(笑)。それで俺、現場を離れたんですよ、1日。その日は終日遠くから見てました。何が理由だったかは忘れちゃったけど。何かあったら、横のほうで監督の見えないところで処理しようと。

―― 冷静ですね。

勇気 あんなにヒステリックなのは初めて見たので。僕がヒステリックにギャーッと捲し立てることは若い時は何度もあったけど。いや、もう完全にキレさせちゃったんですよ。
これ以上詰め寄ったら本当にパンクしちゃうと思って、退いたことがありました。

―― 長い撮影中、それ1回だけ?

勇気 その1回だけ。それ以降、お互いにそのトピックには触らないように、って感じだったかも。

あとは僕とマヌーの間で、うまくその話は監督には持っていかないようにしたんだと思いますけど。そこが揺れちゃうと絵に出てきちゃうから。でも、その日はそうとう機嫌悪かったですけどね。
でも、細かいことでのスッタモンダはいっぱいあったから、そういうのを一個一個除けていって、前へ進んでいかないと。
今、もうできちゃったかのように話しているけど、映画作りの過程はまだこれからもあるわけだから、それで気が抜けないのと一緒で、あんまりひとつのことでつまづいていられない。

次回、まだまだ撮影現場の“メーキング・オブ”が続きます。

| shiori | 映画 『レオニー』 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
松井監督が今週末に大阪と愛知で講演します

私たちマイレオニーが応援してきた映画 『レオニー』 製作を、
今年初めについに完成させた松井久子監督が、
1月30日の町田市講演につづき、
今週末、大阪と愛知と2日続けて講演を行います。

まずは、2月27日(土) 15時〜16時20分
東大阪市立男女共同参画センター「イコーラム」で
行われている「イコーラムフェスタ」で講演します。

(イコーラムは、近鉄奈良線「若江岩田駅」下車、北側すぐ)

講演タイトルは 「人のせいにしない生き方」。
講演に先立ち、13時からは
松井久子監督の第2作 『折り梅』上映も行います。

お問合せ:東大阪市立男女共同参画センター・イコーラム
TEL 072-960-9201



つづいて、翌日2月28日(日)は、
昨年、『レオニー』の日本での撮影を最初に行った「明治村」がある、
愛知県犬山市での講演。

「犬山市男女共同参画フォーラム」 の企画として行う
松井久子監督 講演会 「生きることは出会うこと」

13時開場 13時30分開演
会場 犬山市南部公民館(犬山市民文化会館隣)
前売り500円、当日700円

お問合せ・お申込み:犬山市地域活動推進課(フロイデ 内)
TEL 0568-61-1000

どちらの講演でも、映画 『レオニー』の撮影エピソードがたくさん聞けると思います。
特に、ロケ地となった犬山での講演は、松井監督も、撮影のときに
ボランティアやエキストラでお世話になった地元の皆さんにお会いできるのを
楽しみにしています。ぜひ、遊びにいらしてくださいね。

| wakki | 松井久子監督ニュース | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー (4)

第4回 アメリカの撮影場所はいかにして決められたか



ニューヨークが舞台だからといって、ニューヨークで撮影されるとは限りません。
しかも時代背景は、100年以上も昔の1900年代。
当時の雰囲気をリアルに伝えるためには風景、街の描写から衣裳、スプーン1本のインテリアに至るまで、様々な要素が必要とされます。そして、それらを作るスタッフたちも。セットなのかロケなのか、作るのか運ぶのか。
同時に予算と時間との闘いでもあり、管理はすべてプロデューサーの仕事です。
映画製作は、まさに千里の道も一歩から……。


縁があったルイジアナ

―― どうやって撮影場所を決めたのですか?

勇気 これだけの映像をしかも時代劇なので、そこらへんで撮る、というわけにはいかないじゃないですか。全部セットで作るのか、ロケをするのか、基本的にバジェットの中でどこまでできるか。
最終的にはルイジアナ州とカリフォルニア州で撮ったのですが、ワシントン州のスポーケン……シアトルから800キロぐらい東だったかな、そこへ見に行ったりもしていました。

アメリカでは各州とも、映画のプロダクションを持ってくると、プロダクションは免税措置を受けられるんですよ。その税率とか、季節的なこと……この映像を撮りたいんだけど、その時期トロントは豪雪だからできないとか、そういうふうに考えていくと、どんどん候補地は狭まっていくわけです。

―― 撮影期間が限定されてますものね。

勇気 お金があったらどこでも何でもできるだろうけど、こうせざるを得ないということで決まっていったんじゃないですかね。
でもそのうえで、あの人が映画撮るとまたルイジアナか、みたいなところがありましたね(笑)。まさか本当に10何年して、あそこに戻るとは思わなかった。あんなルイジアナの奥地にあんな大変な思いして行って、「ユキエ」を撮って、もうこれで終わりだろうと思っていたら、また。

―― 「シェーン、カム・バック!」みたい。

勇気 縁なんですよね。「ユキエ」の時にニューオリンズも行ってたから、今回も同じ空気感でクルーの感じも同じで。縁だと思います。

ロケで撮ると決めても、もともと無いものはセットで作っていかなきゃいけないから、衣裳にしても1900年代の衣裳でエキストラ全員300人分っていうと、それだけでお金がかかる。
それをロスから持って行くのか、ニューオリンズで用意できるのか、ってことでコストは変わってくるし、もう事細かなことから、どこでやるのかっていうことは、お金の使い方にすごく影響してくるので。

そのさじ加減をすごくわかってるいる人が、今回共同プロデューサーのマヌーだったんですけど、「これだったら可能」「これは無理だろう」とかってのはやはりあったし、その中でも監督本人が気に入らないといけないから、一緒に見に行って、「これならできるでしょう」と決まるまでにはいろいろありましたね。

ニューオーリンズの映画スタッフの豊富さ

―― 何ヵ所ぐらい見に行ったのですか?

勇気 基本的にはスポーケンとニューオリンズです。2ヶ所目のニューオリンズで、もう決めちゃいましょうと。決め手は、スポーケンより撮れる角度が多かった。
スポーケンのほうは小ちゃすぎて、もしこの通りをニューヨークにデコレーションしたとしても、こっち側が抜けられないとか、あっち側は向こうのビルが見えちゃう、とか、そんなのばかりだったから。
ニューオリンズは絵になる街だし、フレンチ・クォーター的じゃない、ニューヨークに見えるところもあるから。

あと、室内でのお芝居はスタジオでできるので、じゃスタジオで安いところがあるかとか、安いだけでなく、飛行機が上空を通ると音が入ってしまうから、飛行機が飛んでたらいけないわけで、そういうところでもニューオリンズがよかったんです。
あとニューオーリンズの何がよかったって、やっぱり映画を作るスタッフが多いんですよ。つまりその人たちのホテル代がいらない。そういうことだけでもすごく予算が変わりますから。他の地域からクルーを連れてきて、しかも偉い人たちになっちゃうとビジネスクラスじゃないと行かないと言われたり、いろんなことがありますからね。

その結果、ニューオリンズの人材の豊富さと、映画製作に対する州のバックアップがいいこと、あとは基本的にアメリカで撮りたいというものが撮れるか、ということ。それで決定したんです。

パサディナのシーンは妥協できない

かといって、じゃあパサディナのシーンが撮れるかっていうと、いろいろ探しましたけど、とにかくルイジアナって真っ平なんですよ。パサディナの山みたいなものが全然ない。
それを、例えば撮り方でごまかしちゃって……壮大なパサディナの風景が広がるべきシーンで、ニューヨークからレオニーがイサムを産むために訪れるというストーリーを、セットのテントだけ見せて、っていうのはどうなのかな、と。

やっぱり妥協できないシーンだったから、それは別撮りでカリフォルニアで撮りましょうと、サンタバーバラで撮ったんです。1週間だけだけど、そのユニットを変えるってことだけでも……サンタバーバラはまた別の撮影隊ですから、そうとうお金がかかるわけですよね。

でも、そういうところで正直、今回の作品を見ておもしろいなと思うのは、場所が変わったことによって空気感が変わることのリッチさ。
ニューヨークとしてニューオリンズで撮っている映像の後に、カリフォルニアの映像があり、明治村で撮っていてる東京の下町があり、札幌のモエレがある。それは本当に贅沢ですよ。

―― それは日本サイドの助監督さんたちもおっしゃってましたね。

空気感というのは本当に大事で、たとえば、ニューオリンズで妥協して、山のないところで、ちょっとした丘があるから、「もうこれでいいんじゃない?」みたいに撮っちゃってたら、せっかく、それぞれの場所がこれだけ違うから引き立つ全体の感じは出なかったかな、と。


やっと決まった撮影場所。次回は、実際に撮影がスタートします。

| shiori | 映画 『レオニー』 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
アナウンスハウスと15年を振り返る〜ニュースと朗読にのせて〜 レポート

すでにブログでご紹介しましたとおり
マイレオニーが事務局を置いている「アナウンスハウス」が
設立15周年を記念して、2月20日に、初の朗読会を行いました。

私wakkiをはじめ、マイレオニーのメンバーも駆けつけました。
そして今回、レポートを書いてくださったのは、
なんと、松井監督です!

マイレオニーの副代表をつとめ、アナウンスハウスの代表(社長)でもある
谷岡理香さんとの出会いのエピソードにもさかのぼる、熱いレポートをどうぞ。

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昼間はTシャツ一枚でも過ごせた温かなロサンゼルスと違って
東京は何て寒いんでしょう…と思っていたら、案の定、風邪を引いてしまって
身体の中に熱がこもっている感じの土曜日。日頃お世話になっている
マイレオニー副会長・谷岡理香さんの会社アナウンスハウス15周年記念の
朗読会に行ってきました。

会場は2008年の3月に「レオニーへの想いをのせて」と題してギタリストの
佐藤紀雄さんとトークとギターの夕べを行なった銀座のギャラリー悠玄
フラメンコのタブラオを思わせる白壁のお部屋に入った途端に、2年前の
あの日のことが懐かしく思い出されました。

マイレオニーのイベントの時は、いつもその直前にちょっと不幸なアクシデントが起って、
「レオニー」製作はやはりできないのではないか…と、不安でいっぱいになりながら
毎回その不安から逃れるようにして、お客様の前で自分の映画製作への思いを語ったものですが、「レオニー」がほぼ完成した今、あのときの心もとなさが一度によみがえって、ついついジンときてしまったのでした。

???
朗読会の報告のはずが、自分のことばかり書いてどうする…!

この日の朗読会のプログラムは、最初に若い二人の女性アナウンサー原田佳子さんと畠山小巻さんによる与謝野晶子の「君しにたまふことなかれ」の朗読から、舞台上も客席も始まったのですが、やはり最初に思ったのは、やっぱり声が美しく鍛えられているなぁ…ということ。お二人のはっきりとした口跡に、アナウンサーならではのプロの訓練のあとを感じました。

続いて、この日の出演者の黒一点、プロのアナウンサーではないものの、アナウンスハウスの勉強会で朗読や表現の勉強をしているという菅野秀之さんの朗読「グレーシャーの子やぎ」。朗読の題材と内容にふさわしく、菅野さんの優しい人柄がにじみ出るような、そしてとても初々しい朗読でした。

そして、お次の出しもの(?)は、「アナウンスハウスと15年を振り返る〜ニュースと朗読にのせて〜」。

谷岡さんがアナウンスハウスを設立したのは、バブルがはじけたばかりの1994年でしたが
その年から2009年まで、15年間に国内外で起きたニュースを縦糸に、6人のアナウンサーが思い出すご自身の人生の軌跡を横糸に、軽快なタッチで構成された朗読劇は、なかなかオリジナリティに溢れた楽しい企画でした。

聞きながら、何が面白かったのかというと、その年々のニュースを耳にして振り返っていると、その時の自分が何をしていたのか…をとても克明に思い出すことができるのです。
ニュースの15年と舞台上の朗読者たちの15年と、その上に自分自身の15年までが重なった
三重構造のタイムトラベル…はじめて経験する、とても不思議な、そして興味深い体験でした。

それからもうひとつ面白かったのは、ニュースを伝えるアナウンサーや放送記者は、その人がひとつのニュースを「どう見ているのか?」の視点を求められる職業なのではないか…と改めて気づいたことです。
もちろん実際の放送の仕事では、番組のメイン・キャスターやアンカーと呼ばれる人たちにしかそんなことは許されず、特に女性アナウンサーにジャーナリストである彼女の「個の視点」を求められることなど滅多にないのでしょうが、この日の朗読会ではアナウンスハウスの彼女達の「社会を見る目」がくっきりと(けど少しも押しつけがましくなく)浮き彫りにされて、これは放送ではなかなかできない素敵な試みだな〜と感心したのです。

アナウンスハウスの設立の年はまだ大学生だった5人が、15年の間に仕事の場だけでなく、結婚や離婚や、人生のいくつものターニングポイントを経てこのように報道の第一線で活躍されているんだ…と思うと、人生の先輩としてとても頼もしい気持ちにもなりました。

その朗読劇に挿入された竹田のり子さん朗読の「クラウディアのいのり」というノンフィクション・ラブストーリー。そのストーリーを全く知らなかった私は、逆にぐいぐい引き込まれて、最後には不覚にも涙なくしては聞けなかったほど感動的なものでした。

そして1時間半の朗読会の最後の出し物は、その日のメインイベント、私が若い頃に何度も劇場で観たなつかしい「夕鶴」。木下順二の脚本を朗読劇で…という試みは他のいろいろな朗読会でもやられているのでしょうが、読み手がアナウンサーという職業の人々だっただけに、ひと味違ったものになっていたと思います。

何がひと味違っていたのかというと、アナウンサーと俳優とはどちらも「声」を使って何かを伝える仕事ではあっても、「ニュース=ドキュメンタリー」と「劇=フィクション」とは相当に違うものだということを改めて認識させられた…ということでしょうか。アナウンサーはどこまでも「素の自分」をさらしてする仕事ですが、俳優は「役になって演じる」のが仕事。今回の「夕鶴」でアナウンスハウスの皆さんは、少しだけ越境し、自分たちの仕事とは別分野の俳優の仕事に挑戦されたわけで、朗読劇としての完成度はともかく、彼女たちの勇気ある挑戦には、ひとまず拍手を送りたいなと思いました。
つう役の谷岡さんはキャリアが長かった分、よりアナウンサー的で、よひょう役を演じられた若い室由美子さんはかなり役者的感性をお持ちの方。そういう個性の混在の仕方がまた楽しかったです!

今回の出演者の一人だった畠山小巻さんはかつて秋田のNHKのアナウンサーとして活躍され、今はある大学の学長秘書をなさっている方。
その畠山さんが、2007年にサントリーホールで私たちが行なったマイレオニーのキックオフ・トークショーに観客として聞きにこられ、その日司会をしてくださった谷岡理香さんの「言葉の力」に魅了されて、以来谷岡さんのアナウンススクールを受講しながらアナウンスハウスのメンバーになったというのですから、人のご縁というのはほんとうに不思議だと思います。

一本の映画を作りたいと思った私が、女性放送者懇談会の勉強会に行って谷岡さんと出会い、その出会いのお蔭でマイレオニーができて、マイレオニーがイベントを開いたために観客のお一人だった畠山さんがもう一度「声の表現」をご自分のもうひとつのライフワークとされることになった…そんな人と人との「出会いの連鎖」。それは決してお金で買えるものでなく、人生を前向きに心開いて生きてなければ得られるものでなく…朗読会の帰り道の私はすっかり風邪も癒えて、先刻までの皆さんの顔を思い浮かべながら笑みを浮かべている自分に気づくのでした。

ガンバレ、アナウンスハウス!頑張れ、谷岡理香!

                                                               松井 久子




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伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー (3)

第3回 プロデューサーとして思うこと、がんばったこと

松井監督の第1作「ユキエ」は、やはりアメリカが舞台。ルイジアナで45年間連れ添った戦争花嫁とアメリカ人の夫が見せる、夫婦愛と老いの姿が描かれています。そこで、通訳も含め、全部の現場にかかわったのが勇気さんでした。それから10年余を経て、彼は「レオニー」に正式なプロデューサーとして参加。そうなるまでには彼なりの様々な葛藤が渦巻いていたようです。



「息子だからプロデューサー」とは思われたくない

―― 勇気さんは、プロデューサーとしてかかわるのは「レオニー」が初めて?

勇気 そうですね。僕は僕で映像の世界を母のお陰で子供の頃から見てきてはいましたが、プロデューサーのタイトルをもらえるまでに映画の世界で“苦節何10年”といったキャリアがあるわけでもなく、今回が初めて。
でも、そこには「あれ、息子だからプロデューサーなんだよ」って思われたくないっていうのが大きくあったし、そのためには自分にしかできないことでそれを証明していかなきゃいけないことも常に考えていましたね。
でも、それはまわりの人もわかっていたと思うし、そんなふうにつっ込んでくるいやらしい人たちは誰もいなかったです。

―― プロデューサーとしての勇気さんのスタンスは?

勇気 映画制作の中での作りあげ方……大まかにですけど、どういったスタッフがいて、どういう流れがあって、というのは、特にアメリカの場合、「ユキエ」の撮影時に中に入って見ていたので、かたちだけはわかっていたんですよ。

だけど、本当にプロデューサーってすべてのことをやるので、プロデューサーが一人だけだったら到底成り立たない。アメリカ側にもしっかりとアメリカの複数のプロデューサーがいて、その中でもさらにそれぞれ仕事の分担があって、みんながプロデューサーといったかたちでしたね。

日本でもそうで、あれだけのスタッフさんを集められる永井正夫さんという方がいて、初めて成り立つわけです。

ただ、その二国にまたがった制作をしっかりとバランスよくお互いを繋げていくうえで両方に関わっているのは、監督とエミリーと撮影監督の永田さんと僕だけだったんですよね。中村獅童さんもそうだけど、獅童さんのアメリカでの撮影期間は短かったから、ずーっとスルーしてるのは、4人だけだったんです。

自分にしかできないことが絶対にあるはず

その中で僕はこういった厳しい世界だからこそ、ビギナーがプロデューサー気取りで肩で風切って歩けるような世界じゃないとわかっていたからこそ、「息子だからプロデューサーなんだ」って見る人がいるかもしれないな...、って思っていたんですけど、その反面、自分にしかできないことが絶対にあるはずだといつも思ってましたし、1つ1つを誠意をもって接していけばそんなことはどうでもよいと思うようにもなりました。大事なのは映画を完成させることであり、みなさんに観ていただくことなので。

自分が映画界のことがわからないからとか経験がないからといって、ただの通訳という扱いだったら、制作の内部に対して何も言えないですよね。「お前はマツイが言ったことを訳せばいいだけだ」とか「俺の言ってることをマツイに伝えろ」だけで、僕には権限がないわけだから。今回に関してはそれだと僕を十分に生かせないと、監督も思ったんだと思います。

留学で学んだイギリス文化がエミリーとの接点に

僕はもともと普段は音楽の仕事をしているんです。海外のアーティストを招聘して、いかにその人たちの心をつかみ、その人たちが気持ちよく仕事をしてベストな表現ができるようにするか、それをコントロールして結果を出す……ということを、この10年やってきたわけです。

映画の俳優さんたちと、自分が普段かかわってるミュージシャンたちとは違うんだろうな...と思いながらも、特にエミリーがイギリス人だったからこそ、僕が持っていたイギリスで学んだ文化っていうものが、すごく彼女との間で親近感を持たせてくれたし、エミリーはエミリーで、僕がプロデューサー兼息子であるっていうことを、うまく使っていたと思うんですよ、いい意味でね。

それは逆に言えば、役に立てたということだと思うし、それがあったからこそ、他のプロデューサーにはない自分の良さを今回発揮できたという実感もありました。

現場ではいつもアンテナを張り巡らせて

―― 勇気さんの人柄の魅力というか、ご人徳あってこそだと思いますが。

勇気 いや、たまたま僕はラッキーだったんです。自分のやってきたことを、みんながちゃんと「あ、彼はプロデューサーでいいんじゃない」とか「これだけの仕事をやってるんだから」って認めていただけるものがあったから。

そういう意味では、その場その場で各プロデューサーさんたちがしっかりとまとめてきたものを、最終的なところで僕にしっかりと報告もしてくれたし、むこうも僕に伝えることで「伝えてありますよ」と、ちゃんと疎通の取れる相手がいることがすごくよかったみたいなんです。

僕も毎日、何が起きて事故になるかわかんないと思ってやってたし、いつもアンテナは張り巡らせてたから、それだけ自分としても真剣に取り組んできたつもりです。

ドミノみたいに一個くずれてダダダーッてなっちゃうと、それこそプロジェクトが大きなだけに恐いですから。

まわりのスタッフさんたちに心から感謝

でも、まわりのスタッフさんのおかげですごくみなさんに本当に助けていただきました。まわりのみなさんが大人で、そういうボロが出ないようにいつも救っていただきましたね。みなさんが作品に対してすごく誠実で、誠意を持ってやっていただいたおかげだと心からそう思います。

その人たちが、「あいつは監督の息子だから」というところじゃないところで、みんなが勝負してくれてたからで、それは本当に感謝していますしありがたく感じています。

―― 日米合作映画をプロデュースするということだけで大変だと思いますよ。

勇気 みなさん、特にマイレオニーの方たちは、「よくがんばったわね」って言ってくれるし、そう見ていただけるのはすごくありがたいけど、僕も当然も一人でやったことじゃないから。

でも、そういうふうにみなさんに思っていただけるように仕事が全うできたことは、すごく僕にとっては財産になりましたし、自信にもなりました。

冷静に言葉を選びつつも、時折、現場でのことを思い出すのか、しばらく考え込みながら丁寧に語ってくださった勇気さん。
次回はいよいよ、実際の撮影現場に話が移ります。

| shiori | 映画 『レオニー』 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー (2)

第2回 アメリカ側のプロデューサーとの出会い



日米合作映画として製作するために、苦心して英語に翻訳されたシナリオを手刀に、アメリカ側のプロデューサーを見つけるべく行き来を始めた松井監督と勇気さん。
そのシナリオを大絶賛し、意気投合したニューヨークの知性派プロデューサーとは、ほぼ決まりかけていた進行をめぐって相違が生まれ、白紙の状態に。
再度ゼロからのスタートで暗中模索の中、挫折、また挫折の艱難辛苦を乗り越えた末、ロスアンジェルスのプロデューサーとの出会いを果たした二人。
さて、その先は……。


通訳でニュアンスを柔らかくしないように腐心

―― 松井監督と一緒に渡米し始めて、プロデューサーとやりとりする中、英語を通訳するうえで大変だったことがありますか?

勇気 語学っておもしろいもので、何気に「ユキエ」の時から10年以上英語を耳にしているから、監督は言葉はもうしゃべれるようになる年齢じゃないかもしれないけれど、ほぼ聞き取れるようになったんですよね。

僕が子供の時からもともと彼女のほうが、全然英語の文法なんかはできるわけで(笑)。
僕はヨーロッパに留学したけれど、「ユキエ」の撮影でアメリカへ行った時にアメリカの英語はけっこう聞きやすいって本人が言っていて、問題は自分が言いたいことをちゃんと相手に伝えられるかだけでした。
あとは僕のフィルターを通すことで、彼女の主張する言葉のニュアンスを柔らかくしちゃいけないところもあるわけです。それを僕が知ってあげてないといけない。「ここは引き下がっちゃダメ」というね(笑)。

僕もいろんな人を通訳しているけど、まったくわからない人のほうが逆に楽なんですよ。全部訳せるから。でも、ちょっとわかる人って、けっこう端を折っちゃたりするところがあるっていうか。でも、たぶんそれがあったからこそ、僕だけに頼ってられないなって思ったところもあったんじゃないかな。でも、それは彼女の語学的な向上にはすごくいいことでしたね(笑)。
もっと聞こう、もっと聞こうとするから。「最近、よくそこまでわかるようになったねえ」って思いますね。

ただ彼女としては、自分の言いたいことの微妙なニュアンスが相手に通じているかどうか、常に不安があるわけです。僕なんか、「あんたも適当に訳してるわね」って思われてるのかなぁと、ずっと思ってましたからね(笑)。

オフクロはボクサー、僕はセコンド

―― 親子間での通訳というのも微妙なものがありますよね。

勇気 やっぱりフタを開けてみれば、一番最初に出てくるのは母と息子というところがあって。今回もそうなんですけど、何が楽かって、本人はボクサーでリングに上がって自分で闘いに行くとなると、僕の立場はセコンドですよね。だから相手がいる場合は、僕らの結束力は他の人より強いと思うんですよ。それはいいんですね。

だけど二人だけにされちゃうと、やっぱりぶつかるんですよ、なんせ母と子だから。
撮影中は、対俳優さん、対照明さんとか対プロデューサーで、その人たちとのせめぎ合いみたいなところがあって結束するんだけど、二人だけになるとつぶし合ってしまうみたいな(笑)。

母親を「ヒサコ」と呼ぶアメリカの習慣に一苦労

―― 二人だけにもどって、「お腹空いた?」「疲れてない?」とか、親子の素の部分になることはあったでしょう?

勇気 それは全然ありましたよ。ナチュラルに。どこまでがディレクターで、という線が引かれているわけじゃないので。公私共にずっと一緒の日々が続いたので普通の関係の会話をすることも大事だと日頃から感じてましたし。

でも、日本ではまわりの人が「監督」って呼びますよね。僕もやっぱり「オフクロ、オフクロ」とは呼べませんしね(笑)。
それがアメリカでは、みんな「ヒサコ」って呼ぶわけですよ。自分の母親を「ヒサコ」と呼ぶのって、僕にとって最初のうちはけっこう大変で(笑)。
親のことを名前で呼び捨てにするのなんて慣れてないし、照れくさいじゃないですか。でも、慣れてきたら平気になったし、日本では「監督」と呼ぶことにも慣れました。
撮影に入る前、そういう態勢に慣れていないとまずいなと思ったから、自分でそうするようにしていました。親子だけれど、現場には、親子としては立てないわけだから。

アメリカのプロデューサーが「すごくおもしろい」と太鼓判

―― アメリカのプロデューサーはどんな方たちなんですか?

勇気 ロサンジェルスにあるハイドパークという制作会社なんです。トップがアショク・アムリトラジというハリウッドでも名の知られたやり手の方で、その下に今回のプロデューサーであるパトリック・アエロ。
もともとは今回のもう一人のプロデューサーで、アメリカでエンタテイメント・ロイヤーとして映画の弁護士を担当しているジョイス・ジュンさんから紹介されたんです。「もしかしたらハイドパークが、ヒサコのシナリオに興味があるんじゃないか」って。

シナリオを渡したところ、パトリックが「これはいい。すごくおもしろい。やりたい」と言ってきたんです。今回、共同プロデューサーでマヌーという人がいるんですけど、彼はフリーランスでハイドパークに雇われているプロデューサーで、基本的にはマヌーが全体的なプロダクション自体を総括し、たとえばエミリー・モーティマーの所属するエージェントとビジネス的なシビアな相談をしなければならないことがあると、一番のドンであるアショクがドンと出てくるという感じでしたね。


次回は、「レオニー」が初プロデュース作品である勇気さんの熱い“プロデューサー魂”に肉薄します。

| shiori | 映画 『レオニー』 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー (1)



「レオニー」映画製作にかかわって


新年が明け、最後の編集作業を終えて帰国した伊藤勇気プロデューサーに、「レオニー」制作の全行程についてお話を伺いました。
松井久子監督の息子であり、プロデューサーとして監督を支え、アメリカ側との折衝、通訳も含め、ロケハンから俳優へのシーン説明まで、様々な現場で大活躍した勇気さん。
日米の全現場にかかわっているのは、監督を除けば、撮影監督の永田鉄男さんと主演のエミリー・モーティマー、そして勇気さんだけ。
今でこそ明かされる秘話も満載のエキサイティングなドキュメントを、10回の連載に分けてお届けします。

第1回「レオニー」構想からシナリオ完成、撮影準備段階に至るまで

監督はポジティブというより、むしろ堅実

―― 監督の「レオニー」構想から実現まで数年かかっているわけですが、その間、勇気さんはどういうお気持ちで、監督をご覧になってたのですか?

勇気 1本目の「ユキエ」の時もそうだったんですけど、無理だとされることを成し遂げて自分のキャリアにしてきた人なので、正直企画の段階から、まったく無理だとは僕自身は思っていなかったです。
ただ、かたちになり始めてからアメリカ側のプロデューサーが変わったり、今の体制になるまで何度も行ったり来たりしたところがあったので、たぶん本人の中でもどこかで、ここまできたらもうダメだろう……というのはあったかもしれない。でも、そう簡単に折れる人じゃないというか(笑)。

だから僕も今の体制になるまでは、どうしても監督本人の"前に進めて行く力"を信じていくしかなかったので。長い年月をかけてここまで来たんだから、っていうのがすごく糧にはなっていたんだと思うし、力になっていたと思う。七分八分まで来たんだったら、あと二分三分、何とかがんばろうと思って、たぶんずっとやってたんじゃないかと思います。

でも、何度となく前が見えなくなったことはあったし、「じゃあどうするのかな?」って時に、いい意味で折れるとか後ろに下がることを知らないから。かといって、ただがむしゃらに前に進んでいるわけじゃないけど、監督の、前に進む力というのは、近くで見てても学ばされるところがありました(笑)。

―― もともと監督はポジティブな人なんですか?


勇気 どうなんでしょう。ポジティブっていうと、あっけらかんと何でもいいように考えてという感じだけど、そういうタイプではないと思います。すごく客観的だったり、自分の視点というものが、僕なんかは彼女本人の持ってる能力のひとつとしてあると思います。また、すごく落ち着いたところがあるので、何か悪いことが起きた時でも何でもポジティブに前へ前へ、ってタイプではなく、けっこう堅実だと思います。


出資していただける人にたどりつけたり、本ができあがってそれを英語に書き直すための良い脚本家に出会えたりとか、多かれ少なかれ周りの人たちは手伝ってくれたり、道を一緒に探ったりしてくれるけれど、やっぱり彼女が持ち得た縁っていう部分は大きいんじゃないかなと思います。

最初からやりたいものが的確に見えていたシナリオ

―― 勇気さんが最初にシナリオを読んだ感想は?

勇気
 僕はシナリオのプロではないし、彼女の本(シナリオ)に関しては、いつもどこか淡々としてるんですよね。でも今回の本は、題材自体がおもしろいというか、人を惹きつけるだけの魅力があると思いました。最初に受けた感じでは、とてつもないインパクトというよりは、松井の持っているストーリー・テリングのシークエンスの中……2時間を流していく中で、最後にドンと気持ちに入ってくるところが、もうすでに初稿の時点であったように思います。

でも、実質的にこれを撮影する場合、お金がかかり過ぎるとか、当然そういう問題が出てきて、シナリオがシェイプアップされていったんですけど、「ここはやりたいんだ!」っていうものは、最初からエレメントとしてはあったので。
本はやっぱり本なので、映像になるまでは勝手な想像の中での言葉のやりとりだったりするんだけど、母と子の話であったり、当時の時代背景の中での女性としてのレオニーの生き方であったりという、基にある題材的なところはしっかりと入ってたので、後は本の中で描いたことをどう映像化するのが大事だなぁ、と思いました。

たとえば、ニューヨークのシーンをニューヨークで撮れたらもっとリアリティがあったのかもしれないけれど、そういうところでも妥協ではないけれど、いろいろなやりくりを組み合わせていかなきゃいけないのも映画作りのひとつだから。
そういう意味では、本を最初に読んだ時、やりたいものが的確には見えていたと思うけど、それが最後の本になるまでにその具現化がどんどん変わらざるを得なかった。逆にいうと「これからやらなきゃいけないものがいっぱいあるな」と思ってましたね。

もっとドラマティックなほうが人は入りやすいのかな、と……

―― シナリオの変更に関しては何かアイデアを出されましたか?

勇気 基本的に彼女は表現者として自分のやりたいことをひたすら考えてる人だから、あんまり僕から「これはどうなの?」っていうのは、ないんですよ。
逆に映像として見て、「あそこはちょっと入りずらい」とか「あれはないほうがいい」っていうのは言いやすいし、結構彼女も僕の感覚を信じてくれるんです。
でも、彼女自身にこだわりがある場合は、本人が的確にわかっていて、「いや、それをやりたいのよ」「そこが必要なのよ」ってちゃんと説明が返ってくるから、途中で「ここはちょっと」って思うことはなかったんですよね。

ただ、映画としてはもっとドラマティックにしたほうが人は入りやすいのかな、って思うところは当然あるわけです。だけどそこが本人のカラーであって、淡々としていながら、一個一個の情報や気持ちを積み上げていくっていうのが本人のスタイルだから、その一個一個に対して「あれはどうかな」というのは、特になかったです。

最終稿のほうでは、このシーンでこんな一個のことにお金かけちゃったら、他のところがもったいない、それだったら他のシーンでもっといい美術を作らせてあげたい……という表現の中でのバランス、割り振りはある程度指摘しました。
一個一個のことに関しても周りから言われる以上にちゃんと本人が考えているし熟知してるので、本の変化に対しても何も言うことはなかったです。

―― プロデューサーは映像を具現化することが仕事ですものね。

勇気 僕はただ信じて、それよりも実質的なところで撮影までちゃんと辿りつけるのか、撮影開始したら問題なく撮影時間内に撮りきれるのか、主演女優が不機嫌でトレーラーから出て来ないみたいなことがないようにしないと、とか(笑)、そういうことのほうを常に考えていましたね。

映画の場合は、本当にそういうことをいっぱい耳にするし。僕としては常に毎日、何もそういった事故がないようにっていうことに神経を使っていたから、映画作りの仕事の分担ができてたというか。「そこはあなた、ちゃんとやってくれないと困るよ」みたいな(笑)。

次回はいよいよ、「レオニー」が日米合作映画として成立するための第一歩、アメリカ側との折衝のお話に。母子での渡米、アメリカ側のプロデューサーの決定、また、勇気さんだからこその“プロデューサー魂”についても語っていただきます。

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アナウンスハウス 朗読発表会 開催のお知らせ

マイレオニーが事務局を置いている「アナウンスハウス」は、
テレビやラジオ、イベントなどで活躍中の
アナウンサー・ナレーター・リポーターが
多数在籍しているプロダクション。
現役のアナウンサー直接指導によるアナウンススクール、
ビジネストークや司会などの講座も行っています。

私たちマイレオニーも、スクールの部屋をお借りしてミーティングや発送作業など、
いつもお世話になっています。

さて、アナウンスハウスでは設立15周年を迎え(おめでとうございます!)
「朗読発表会」を行うそうです。




マイレオニーのこれまでのイベントで司会をつとめ、
今年公開予定の映画「レオニー」ではエキストラ出演も果たした(?)
我らがマイレオニー副代表・谷岡理香さんはじめ、所属アナウンサーのみなさん、
その他、表現の幅を広げたいという目的を持って自主勉強会に参加している
一般の方も出演されます。

場所は、マイレオニーでも松井監督のトーク&ギタリスト佐藤紀雄さんの
ライブイベントを行った、銀座の「ギャラリー悠玄」。

観覧ご希望の方は、電話またはメールにてお申し込み下さいとのことです。

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『アナウンスハウスと15年を振りかえる』 〜ニュースと朗読にのせて〜

【日時】 2010年2月20日(土) 昼の部:13時30分〜  夜の部:17時〜
【会場】 ギャラリー悠玄(ゆうげん) 中央区銀座6-3-17 悠玄ビル地下1階 地図はこちら
【料金】 1000円(一般) 500円(学生)

【プログラム】
  「君しにたまふことなかれ」 与謝野晶子作
  「グレーシャーの子やぎ」 バック・ダグラス作
  「アナウンスハウスの15年」
   挿入朗読「クラウディアのいのり」 村尾靖子作
  朗読劇 「夕鶴」 木下順二作

【出演】 谷岡理香、竹田のり子、原田佳子、室由美子、菅野秀之、畠山小巻

【お問い合わせ】
Tel:03-5474-5455
Mail:office@announcehouse.co.jp

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マイレオニーがギャラリー悠玄で行ったイベント
映画監督 松井久子 meets ギタリスト 佐藤紀雄
〜「レオニー」への想いをのせて〜 ギター&トーク・ライブ・レポート

谷岡さんが司会をつとめたマイレオニーのイベント
「あなたの人生の選択〜女性が決断する時」レポート (前編)
「あなたの人生の選択〜女性が決断する時」レポート (後編)
マイレオニーpresents X'mas Night 〜ピアノ&トークライブ〜 レポート [前編]
マイレオニーpresents X'mas Night 〜ピアノ&トークライブ〜 レポート [後編]

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町田講演のご来場者の声をご紹介(後編)
1月30日に町田市で行われた松井監督の講演「人のせいにしない女性の生き方」。
聞いてくださった観客の皆さんが、会場で実施したアンケートに、
たくさんの感想を寄せてくださいました。

講演の主催者の方々から、マイレオニーブログに掲載の許可をいただきましたので、
ほんの少しですが、ご紹介します。

後半は、講演のメッセージをこれからの人生に活かす、という熱いコメントの数々に、主催者の方々も驚いていた、20代〜40代女性のメッセージを。

50代〜の皆さんのメッセージはこちら


楽しかったです。感動しました。充実した時間もすごせました。どうも有難うございました。(20代・女性)

現在長男3歳、次男1歳の母です。毎日、育児・家事の繰り返しで、今日、久しぶりに自分の時間(女としての時間)を楽しむことができました。恥ずかしながら、松井久子さんの作品も知りませんでしたが、今日の講演を聞いて、レオニーの一人の人としての生き方を知り、今、今まで、人のせいにしていたこと小さく、情けなく思えました。本当に有難うごじました。これからの生き方に変化がきそうです。(30代・女性)

遅刻をして途中から聴くことになりましたが、大変に勇気付けられる内容でした。女性が社会の中で強くあろうと考えるのは、今は時代の流れのお陰もあって、強い女性、もしくは強くあろうという女性は昔からきちんとした考えなのだなと、お話を聴いて思いました。また、過酷な体験をいくつもしてみるのが、依存心をなくしていくのによいというお話、自分のここ数年の(とるにたらないものですが)経験を考え、なるほどな、と思いました。(30代・女性)

19世紀後半に、様々な困難(移民の父、ネイティヴアメリカンの母というマイノリティ性、東洋人男性と未婚のまま出産、女性一人の子育てなど)を、自分自身の選択として引き受けて、生き抜いた女性がいることを知って、勇気づけられました。松井さんのお話にあるように、私も依存心が強く、「誰かに決めてもらいたい」感覚、自分で選択し、結果について引き受けてゆく感覚が弱いというところがあります。私の母、祖母もそうした傾向が強く、すっきりしない気持ちになることも多かったです。「そういった時代だったのかもしれない」と納得してきたのですが、「時代」は関係なく「やはり自分自身がどう生きるか」ということなのだと感じました。「自分で引き受ける、選択することの爽快感を知ったのだから」「人に嫌われることを恐れず、自分の信じること、やりたいことをやってゆこう」という言葉、私も意識してみたいと思いました。(30代・女性)

とても刺激的なお話でした。今まで全て自分で決めていたと思っていましたが「人のせいにしている自分」「依存している自分」に気付かされました。以前、ラジオ番組のトークで松井先生が「レオニー」を制作しているという熱い思いを聴き、日本人の女性監督でこれほど情熱的な方がいらっしゃるのを知って以来「レオニー」にとても興味を持っていました。公開を楽しみにしています。(40代・女性)

映画を観ていなかったので、ぜひ観たいとおもいます。人のせいにしないという自立した生き方に興味を持ちました。(40代・女性)

「人のせいにしない」ということは心掛けているつもりでも、自分の都合に悪いことになると「人のせいにしている自分」に自信、信念を持って過ごす大切さを感じました。(40代・女性)

このフェスティバルで初めて知りました。いつも若く、美しい方で驚きました。世界の中で働いている方は凄いと思いました。人のせいにしない方が、爽快感があるという言葉は心にのこりました。日々、人のせいにしてしまう自分!反省です。(40代・女性)
 
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町田講演のご来場者の声をご紹介(前編)

1月30日に町田市で行われた松井監督の講演「人のせいにしない女性の生き方」。
聞いてくださった観客の皆さんが、会場で実施したアンケートに、
たくさんの感想を寄せてくださいました。

講演前日に同会場で行われた
松井監督の第1作監督作品『ユキエ』の感想も多く寄せられました。

講演の主催者の方々から、マイレオニーブログに掲載の許可をいただきましたので、
たくさん読ませていただいたうちのほんの少しですが、ご紹介します。

前半は、ご来場者の多くを占めた、50代〜80代女性の方からのメッセージ。
自らの経験や人生に重ねてお話を聞かれた方が多いようです。


50代に入り、やっと他人に依存していては生きていけないと思い知らされ、この講演会に来ました。私も日々頑張りたいと思います。「レオニー」もぜひ観たいとおもいます。(50代・女性)

前日の『ユキエ』上映会は仕事で観ることが出来ませんでした。お話を聞いてレオニー、ユキエなど観てみたいと思いました。「人のせいにしない」出来そうでなかなか難しいことですね。私もそう生きていきたいと思いました。ステキなお話有難うございました。(50代・女性)

退職してから、都心のほうまで有名人の講演を聞きに行ったりしますが、こんなに楽しい、充実した話はありませんでした。輝いて生きていらっしゃる方の話は、テクニックを超えて、聞く人の心を捉えるものだと思いました。ステキな企画有難うございました。
(50代・女性)

本当に力のある女性は、おだやかで、美しい笑顔を持っていらっしゃる事をあらためて感じました。日本人女性の代表としてこれからもご活躍していただきたいと思います。私も今年、念願だったイギリスへフラワー留学します。50歳から英語を始めました。55歳でホームステイです。日本の素晴らしさを伝えてきたいと思います。(50代・女性)

人に嫌われないよう、人のせいにして、ものを言ったり、態度をとる傾向があるので、今日のお話は今後の自分の人に対する接し方を考えさせられました。(50代・女性)

とても良い時間を過ごさせていただきました。昨日も「ユキエ」拝見させていただき感動しました。ぜひ「レオニー」も観にいきます。主人と一緒に行きたいと思います。玉川学園の「折り梅」の時も見せていただきました。自分の思うままにならないのは自分のせいとおっしゃられ、本当にそうだと同感しました。(50代・女性)

今からでも遅くない?すてきな生き方してみたい。講演ありがとうございました。(60代・女性)

2年前に「折り梅」を拝見しました。「ユキエ」を観たいと思いました。私のいとこがやはり50年前に三沢基地で売店に勤めていた時に、知り合ったアメリカ人と結婚して行きましたが、その頃は色々と偏見があって、大変だったと母から聞きました。30年も日本に帰れませんでしたが、今から15年前に一度帰ってから、一昨年には孫が横田基地に勤務しているので会いたいと一家で又きて会いましたが、日本語もとてもたどたどしかったですが、幸せそうでした。いとこは「幸子ユキコ」という名前です。ユキエさんも日本に帰りたかったでしょうね。でもやさしいご主人に見守られて幸せですね。日本の男性には出来ないかもしれませんね。息子にスローグッバイと云うところが、とても哀しかったです。(60代・女性)

とてもステキな松井久子さんの講演を聴き、本当に勇気をいただきました。「折り梅」の映画を観ていましたので、松井先生のすばらしい生き方をこれからの支えに致します。有難うございました。(60代・女性)

松井さんのバイタリティに頭が下がりました。私の悩んでいた昨日までの事、今日からOK、頑張ります。(60代・女性)

自信・自立・キャリアへの道。努力し自己の戦いへ。
自分自身をもっと高めたいと思いました。思いやりも必要でもあり。人を想っていても、表現がなかなかできませんが、ものごと全て行動・表現力を大切にしたいと感じられた。自信を持って行動します。(60代・女性)

とても素晴らしい話で、これからの私の人生の傍らに置きたいことです。(60代・女性)

「折り梅」も昨日の「ユキエ」も素晴らしいメッセージに感動しました。「レオニー」も一刻も早く観せて頂きたく思います。(60代・女性)

“自分を生きる”爽快感を伝えていただきました。有難うございました。素敵でした。(60代・女性)

まず、第一に姿とカラーとデザインの素晴らしいコスチュームにああ、成る程と感心しました。私自身、男と女は変わりないと確信しているのです。(60代・女性)

一つの映画作成をする為のエピソードを具体的に説明していただき、楽しかったです。特に女性としてどのように考えて行動するかと云う点が興味深かったです。これからは松井久子さんの作品を是非観たいと思います。私今月末で定年退職します(明日です)。この日この講演を聴けて、とても記念になりました。ありがとうございました。(60代・女性)

大変映画にまつわる興味深いお話が沢山ありました。撮影風景のスライドもよかったです。人のせいにしない、自分の運命を引き受け自立して生きる女性には、本当に魅力を感じます。現実には日本社会ではなかなか難しく、映画などを通して、こうした女性がいたことは勇気や感動を与えられます。これからもこうした女性の生き方をテーマにした映画作りをお願いします。(60代・女性)

とてもいきいきしていて、お話も良かったです。映画は是非観たいと思います。(60代・女性)

話の内容で、映画の作成にとても興味がわきました。自分の知らない世界に引き込まれました。昨日の映画も私の母も認知症でだぶって観ていました。スローな気分で接しなければと考えさせられました。映画の公開を楽しみにしています。(60代・女性)

女性の依存心についてよくわかり、共感いたしました。「レオニー」是非拝見したいと思いました。(60代・女性)

松井久子さんの講演はとても貴重な話も多く、とても参考になりました。ありがとうございました。(60代・女性)

5%の男性。すばらしいお話でした。魅力を感じる人です。男も女も人のせいにする人多いけど、女性のほうが多いかな・・・(60代・男性)

すてきな松井監督で時間を忘れました。友人、知人に映画を観ることを勧めます。(60代・女性)

松井さんの講演をお聞きして、とてもますます映画を観たいと思いました。今からとても待ちどうしいです。楽しくお聞きしました。有難うございました。(60代・女性)

人のせいにする生き方はその時は楽に感じるが、少し時間が過ぎると、空しさが残る。このことを何度も経験していくうちに、少しずつ依存心が減っていったと想う。ただ日常的に女性が依存心を見せることで摩擦無く生きていけるのも確かですが・・。(60代・女性)

松井久子さんを選んだことが素晴らしい。生き方としてのあたりをもっと深く知りたいと思った。(60代・女性)

「レオニー」を観たくなりました。丁寧な撮影時の説明がとても感銘を受けました。監督ご自身がファッショナブルでステキでした。(60代・女性)

映画は観よう。自分で考えて、自分で行動することの大切さ。私もその様に生きてきたので、子ども達にも「大切な話」をしてあげたいと思う。(60代・女性)

松井監督って本当に美人なんですね。お話も全てかっこよかったです。(60代・女性)

楽しく聴きました。映画是非早く観たいと期待大。日頃聞けない話がきけて良かった。(60代・女性)

映画製作の大変さと社会的意義を痛感させられた。(60代・女性)

松井監督の生き方がすばらしいですね。日頃くすぶっている自分が恥ずかしい!海外でも長期にわたって、たくさんの人々と関わって仕事をこなすとは、本当に大人しくてはダメですね。日本に住んでいても、たくさんの人の中で働き続けていくことと共通しますね。大きな力をいただきました。 (60代・女性)

「依存心」が強いのは末っ子のせいかと思っていましたが女だから?でも自分の人生、結論は自身で決めています。人のせいにしたくないから・・・。先生は「爽快感がある」と表現されましたネ!!(60代・女性)

テーマが魅力的です。内容もレオニーの生き方にも感動。松井さんの映画作りの姿勢に共感。女性のリーダーが力を発揮する難しさ(ジェンダーからの解放?)に同感。スライドを使っての映画作りも魅力的でした。実行委員の皆さん、いい企画を有難うございました。(70代・女性)

素敵な方。可愛らしくて毅然として。是非レオニー観たいと思います。「折り梅」以前観たのを思い出しています。(70代・女性)

松井久子さんのお話を聴けて嬉しかったです。(70代・女性)

「ユキエ」も感動した映画でしたが「折り梅」「レオニー」ぜひ観たいです。講演の内容も、依存しない生き方、素晴らしい指針でした。有難うございました。(70代・女性)

企画として成功している。よいテーマであり、良い内容であった。元気にしてもらえるハナシであった。(70代・女性)

女性の依存心からの解放について、心から受け止めることができました。何事も自分発、自分着であるという思いで生きてきました。今日は更に一歩すすんで依存心からの開放を身につけてこれからの人生を生きたいと思います。第三作も是非上映してください。(70代・女性)

強い女性で、これからの人生に生かしたい。すばらしいフェスティバルでした。(70代・女性)

同性として講師の生き方に共感しました。是非「レオニー」みたいと思います。(70代・女性)

生きることは自分自身の信念が根本にないと後悔に続く人生になると思います。自分を信じて生きることと思います。(70代・女性)

松井先生のおはなしが素晴らしかった。意志力と知性、勇気を感じました。(70代・男性)

久子先生すばらしかったです。とても分かりやすく、女性なら誰でももっている依存性を・・・普通の方だなと努力がすばらしいと感心しました。ますますのご活躍を祈ります。(70代・女性)

映画「ユキエ」は素晴らしい作品で感動いたしました。難病を持つ妻を支える夫。その夫婦愛に打たれ、すごく感動しました。終わりに流れる“You are my sunshine"のメロディが深く心に沁みました。こんな素晴らしい作品をこのフェスティバルに持って来れ、又、その監督さんの講演を聴くことが出来、市民としての幸せを感じました。実行委員の方々のご努力に感謝いたします。(70代・女性)

いろいろ変わった世界のお話がとても良かった。機会があれば、「レオニー」是非観たいと思いました。(80代・女性)

20代〜40代の方のメッセージは後編で!

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